いかりや 長介(いかりや ちょうすけ、1931年11月1日 - 2004年3月20日)は、日本のコメディアン、俳優。「ザ・ドリフターズ」(バンド、後にコントグループ)のリーダー。本名、碇矢 長一(いかりや ちょういち)。愛称は「長さん」。
東京市本所区(現在の東京都墨田区)生まれ。渡辺プロダクションを経てイザワオフィス所属。
血液型はA型。身長175.2cm。
なお、コントで怒ってばかりいる役柄のため、「怒り屋」の意味で「いかりや」という芸名にしたと勘違いされる者も多いが、「いかりや(碇矢)」は本名である。遺作はドラマ『あなたの隣に誰かいる』(フジテレビ系)。
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1 いかりやの主な活躍
2 略歴
2.1 生い立ち
2.2 ミュージシャンへ
2.3 コメディアンへ
2.4 俳優へ
2.5 闘病とその後
3 出演
3.1 映画
3.2 テレビ番組
4 著書
5 関連項目
[編集] いかりやの主な活躍
TBSテレビの『8時だョ!全員集合』やフジテレビの『ドリフ大爆笑』で一世を風靡。
その後は俳優として活躍。先に挙げた2番組での「お笑い」のイメージとは一線を画した、味わい深い「渋い」演技で多くのファンを魅了した。
1997年にフジテレビで放映されたドラマ『踊る大捜査線』のベテラン刑事・和久平八郎役では『全員集合』をリアルタイムで見た事が無かった当時の若いファンからも支持を受ける。
1999年、『踊る大捜査線 THE MOVIE』で第22回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞。
晩年は独特な語り口調を生かしナレーションを務めた事でも有名。
趣味はアフリカ旅行で、彼をメインレポーターとしたアフリカ紀行番組も度々放送された。
長男のいかりや(本名:碇矢)浩一は、森永製菓に勤務し、2人の娘と1人の息子がいる。著書「親父の遺言」(幻冬舎)を出版している。
又、以前月刊コロコロコミックで連載されていた竹村よしひこの漫画「わ〜お!ケンちゃん」には、本人をモチーフにしたおこりや長介校長先生なるキャラクターが登場するほか、いかりやをモチーフとしたパロディキャラがあらゆる漫画作品に登場していた。
[編集] 略歴
[編集] 生い立ち
4歳で母が結核で病没。本所区・横川小学校卒業後、1944年に静岡県の吉原(現:富士市)へ疎開。翌年に同地で終戦を迎えた。
父・碇矢一郎は築地の魚河岸で運搬の仕事に従事していた。
[編集] ミュージシャンへ
中学を卒業後、地元の製紙工場(三島製紙株式会社原田工場)に勤めながら同僚らとハワイアンバンドを組みダンスホールで活動していた。ちなみに、そもそも音楽を始めた動機が、女性に「モテたい」からだったという。
1959年にミュージシャンを目指し上京、最初の妻と共に新宿2丁目のアパートで暮らす。ミッキー・カーチスも在籍していたロカビリーバンド「クレイジーウェスト」に参加後、カントリーウェスタンバンド「ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ」にベーシストとして加わり(ギタリストは寺内タケシ)、立川や横須賀や横田の米軍キャンプで巡業。しかし1961年12月31日、巡業の往路で交通事故を起こして「ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ」の所属事務所と気まずくなった為、1962年、加藤茶と同時期に、小野ヤスシやジャイアント吉田らが在籍していた「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」に参加。その後、小野ヤスシらは独立。1964年に仲本工事、高木ブー、荒井注を加えて「ザ・ドリフターズ」を再結成すると共にナベプロの傘下に入り、当時人気絶頂だったハナ肇とクレージーキャッツの後輩として大々的に売り出した。1966年にはビートルズの前座として武道館で公演。仲本のヴォーカルで「のっぽのサリー」(Long Tall Sally)を演奏した。
ベーシストとしては日本におけるチョッパー奏法の元祖と語られたりするが、実の所はその頃ウッドベースからエレキベースへ転向したプレーヤーでは主流であった親指弾きである。バンドマン時代に演奏していたカントリー&ウエスタンやロックンロールにチョッパー奏法は全く必要ないし、チョッパーをした事もないとドリフの元メンバーで親友のジャイアント吉田が語っている。バンドマン時代を知らない若年層にはいかりやがベースを演奏する姿が新鮮だったことと、今となっては珍しい(?)古典的な奏法により、「いかりや奏法」「いかりや弾き」「長介弾き」という言葉も生まれた。とはいえ特に個性的で画期的な奏法を行っているという意味ではない。むしろ、日本で初めてフェンダー製のエレキベースを使用したベーシストであると言う事の方が、ベースプレーヤーとして特筆すべき事であろう。なお。親指引きをはじめた経緯としては、事務所の後輩であるザ・ワイルドワンズの島英二の証言では島の勧めでピック奏法をしようと思ったがピックを持っていてはコントに支障が出るためとのことである。
晩年出演したTVCM(キリン・ラガービール)に、ベースを気持ち良さそうに演奏する姿があったが、本人もいたく気に入っていたようで、そのスチール写真が遺影に使われた。
バンド時代のあだ名は「幡随院長兵衛」をもじって「バンス院長兵衛」。バンスとはバンドの符丁でギャラの前借り(借金)の事。当時のいかりやは借金がかさんでいたらしい。長兵衛は本名の長一から。いかりや逝去の際、バンド時代から親交の深かった立川談志が追悼コメントで「ヤツを今時「長兵衛」と呼ぶのも、もう俺ぐらいしかいないだろ(=それだけ付き合いが古かった)」と語っていた。
[編集] コメディアンへ
TBSテレビの『8時だョ!全員集合』やフジテレビの『ドリフ大爆笑』で一世を風靡した。
ドリフ時代のギャラ配分は、6(いかりや):1:1:1:1だったためメンバーに嫌われていた。それをネタにしたコントもしたことがある。又、加藤らがボロアパートに住んでいて金もない時に、いかりやがBMWを乗り回していた為、頭に来て車に小便をかけまくっていたらしい。
全員集合の打ち合わせは2日前の木曜日に行われていたが、いかりやを中心にネタが決められていて、いかりやがネタを思いつくまで皆が黙っている事が多かった。他の作家がアイデアを出しても、「つまらねぇ」と却下する事も多かった。いかりやは著書で、彼らのネタは机の上でしか考えてないようなネタや、また面白くてもドリフでは出来ないネタばかりだったと述べている。本人も「あの時は無我夢中で、鬼の形相になっていたかもしれない」と認め、当時、駆け出しだった高田文夫は、全員集合のスタッフとして参加していたが、打ち合わせのあまりにも静かで重い空気に耐えられず逃げ出した事をスポーツ紙の連載で書いている。
志村けんも自分の考えたネタを、いかりやに見せる時が一番緊張したと、いかりやの死後のインタビューで述べている。
お笑いとしての代表的なギャグは「オイーッス!」、「だめだこりゃ」、「次いってみよ〜!」等。
ドリフでは主にツッコミ役を演じていた。典型的なツッコミタイプのコメディアンであるが、ドリフ大爆笑の人気コーナー「バカ兄弟」(仲本とのコンビによるコント)シリーズでは見事なボケを演じた。
60歳を超えてからも、体を張って金たらいや石油缶を頭に受けるギャグをやって笑いをとっていたのは驚嘆に値する。
唇をよくギャグにされていたが、「年を取るとともに唇の横の肉が弛んだり引っ張られていって、普通になっていった」(加藤談)。
弟子に、志村けん、すわしんじ、小泉孝太郎らがいた。故・清水キョウイチ郎は、元弟子。
[編集] 俳優へ
1985年、『8時だョ!全員集合』終了後、俳優として活躍。「お笑い」のイメージとは一線を画した、味わい深い「渋い」演技で多くのファンを魅了した。
1987年のNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』が俳優としてブレイクしたきっかけとなる。ドラマの配役鬼庭左月もいかりや長介と同じ72歳で討死している。
1994年より始まった『取調室』シリーズでは佐賀県警本部捜査一課の警部補・水木正一郎を演じ、佐賀県の観光振興をすると共に、本人はこの作品をライフワークと語っていた。
1995年のドラマ版『サザエさん』では波平を演じ、1999年、『踊る大捜査線 THE MOVIE』で第22回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞。
1997年に出演した『踊る大捜査線』和久平八郎役では、『全員集合』を見た事が無い若いファンからも人気を博す。それと同時に、いかりや長介がコントをしていた事を知らない世代も若年層を中心に増え、いかりやがコメディアンだった事が死後になって分かったと言うファンも少なくない。
2000年2月、荒井注が急逝した際、弔辞を読んだのはいかりやであった。
ドリフ時代はゴリラだの、下唇が長いだのと散々な言われようだったいかりやだが、最晩年期には口ひげを蓄え、黒を基調としたファッションに様変わりし、目標としていたショーン・コネリーを髣髴させるかのようにダンディな渋い香りを魅せていた。
2004年4月公開の映画『恋人はスナイパー THE MOVIE(劇場版)』が、遺作となった。
[編集] 闘病とその後
2003年5月末、原発不明頚部リンパ節がんで入院。この数年前に、食道がんの手術を極秘で受けていたことが後に判明している。闘病生活の末、同年7月17日に退院。翌々日には「踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」の映画舞台挨拶に参加。同年8月6日に「SMAP×SMAP」(「ビストロスマップ」ゲスト)の収録でテレビ仕事復帰。長男・浩一の話によると、この頃担当医から、いかりやの余命は保って数ヶ月であると宣告されていたという。このことについて、いかりやには告知されていなかった。同年秋、ドラマ『あなたの隣に誰かいる』にも出演する。同年12月23日に放送された「40周年だよ!ドリフ大爆笑スペシャル」が最後のテレビ出演となった。
2004年3月15日、がんの転移が判明し東京都 港区の東京慈恵会医科大学附属病院に再入院した。
2004年3月20日永眠。享年72。
3月24日告別式。喪主は長男・碇矢浩一、弔辞はドリフの最古参加メンバーである加藤が読んだ。
ドリフ時代に仲が悪かったと言われる高木は葬儀で大泣きしていたと言う。
出棺の時、『踊る大捜査線』のファンが「和久さーん」、「和久さーんお疲れ様」と涙ながらに叫んだ。
通夜には周りに多くのファンが訪れ、午後8時になると共にテープでいかりやの声が「8時だョ!」と流れた後に「全員集合!」と叫んだ。浩一はファンの愛に感動したという。
2004年の没後まもなく、第一回喜劇人大賞、「特別功労賞」を受賞。
3月27日にはTBSテレビで追悼番組として『長さんだョ!全員集合』が放送された。番組は土曜日の20時(午後8時)を跨いで放送されたこともあり、時計の秒針が20時を刻むのと同時に「8時だョ!全員集合!!」と当時の全員集合のオープニング映像も流し追悼した。
2005年、静岡県富士市吉原の商店街の一角が「長さん小路」と命名された。
[編集] 出演
ドリフターズとしての出演は、「ザ・ドリフターズ」を参照の事。
[編集] 映画
夢
しあわせ家族計画
GO-CON!(2000年、「つんくタウンFILMS」プロジェクト第一弾)
踊る大捜査線 THE MOVIE(和久平八郎役)
踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!(和久平八郎役)
踊る大捜査線 BAYSIDE SHAKEDOWN 2(THE MOVIE 2 国際戦略版)(和久平八郎役)
恋人はスナイパー 劇場版
[編集] テレビ番組
フジテレビ系列 踊る大捜査線
フジテレビ系列 サザエさん(ドラマ版、磯野波平役)
フジテレビ系列 世にも奇妙な物語「海亀のスープ」
フジテレビ系列 世にも奇妙な物語「穴」
フジテレビ系列 鬼平犯科帳(馬蕗の利平次)
フジテレビ系列 涙をふいて
フジテレビ系列 あなたの隣に誰かいる
日本テレビ系列 火曜サスペンス劇場「取調室」シリーズ
日本テレビ系列 金田一少年の事件簿
日本テレビ系列 蘇える金狼
TBS系列 聖者の行進
TBS系列 ブラック・ジャック(本木雅弘との競演が最初で最後の作品)
TBS系列 白い影
TBS系列 ガッコの先生
TBS系列 月曜ミステリー劇場 告発弁護士シリーズ
TBS系列 GOOD LUCK!!
フジテレビ系列 金曜エンタテイメント 壁ぎわ税務官
テレビ朝日系列 ベイシティ刑事
テレビ朝日系列 人生の楽園(ナレーション)
NHK大河ドラマ 独眼竜政宗(鬼庭左月役)
等多数の作品に出演。アフリカ好きでも知られ、以下のシリーズでのテレビ出演もあり。
フジテレビ系列 なるほど!ザ・ワールド(いかりや長介のアフリカシリーズ)
テレビ東京系列 特番 いかりや長介 野生のアフリカ大冒険
当時、芸人の間では「いかりやさんはアフリカに愛人がいる!」というギャグがあったほどアフリカが好きであった。
[編集] 著書
ぶらりアフリカ - Go out for a stroll Africa(講談社 1983年)(ISBN 4062006138)
だめだこりゃ(新潮社 2001年)(ISBN 4101092214)
[編集] 関連項目
ザ・ドリフターズ
高木ブー
仲本工事
加藤茶
志村けん
荒井注(元メンバー)
すわ親治(元準メンバー)
小野ヤスシ
ドンキーカルテット
居作昌果
織田裕二
浅野温子
小泉孝太郎
清水キョウイチ郎
じゃんけん
いかりや浩一